平均を信じると足をすくわれる——ミレブスキー著『人生100年時代の資産管理術』を読んで

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はじめに

こんにちは、【kanatoの資産構築研究所】のKanatoです。

今回は、モシェ・ミレブスキー著『人生100年時代の資産管理術 リタイア後のリスクに備える』(日本経済新聞出版、2018年)の書評をお届けします。著者はカナダ・ヨーク大学のファイナンス教授で、保険・投資・数理をまたぐリタイアメント研究の第一人者です。

手に取ったきっかけは、「人生100年時代」という言葉が一般化する中で、資産運用の考え方そのものをもう一度体系的に整理したいと思ったからです。確定拠出年金の記事を書いてきた流れで、「そもそもリタイア後の資産管理とは何か」を学術的に掘り下げてみたくなりました。

なお、本書は2012年初頭に執筆された米国向けの書籍です。監訳者本人が「内容をそのまま今の日本で実践することは難しい」と正直に述べており、この前提は最初に共有しておきたいところです。ただ、制度の差を超えて使えるフレームワークとしての価値は十分にある一冊でした。

1. 「自分」株式会社——金融資産より大きな見えない資産

第1章の「自分株式会社」という比喩から、この本は始まります。

私たちは日ごろ、証券口座の残高や保有銘柄のことを「資産」と呼びます。しかし本書が最初に提示するのは、もっと大きな資産の存在です。それが「人的資本」——働いて生涯に得られる収入の総額を、現在価値に割り引いたものです。

若い頃は金融資産がほとんどなく、人的資本が圧倒的に大きい。年を経るにつれて人的資本を金融資産へと変換していき、リタイアの頃には逆転する。このシンプルな図式を意識できていた人が、どれだけいるでしょうか。

私自身、長い間、金融資産の運用ばかりに目が向いていました。でも実は、もっとも価値のある資産を毎日少しずつ使い込んでいたわけです。教育やスキルへの投資が「人的資本の増強」として機能するという視点は、若い世代には特に届いてほしい内容だと感じました。

また、本書では人的資本の「性質」によって、金融資産の最適配分が変わると説いています。収入が安定しており変動の少ない職種(いわゆる大企業・公務員系)は「債券型」の人的資本を持ち、金融資産側では株式比率を高めに取れる。逆に収入の変動が大きい自営業や起業家は「株式型」の人的資本を持ち、金融資産では安定資産を厚めにすべきだという論理です。自分の人的資本の性質を意識するだけで、ポートフォリオの設計が変わってくる——これが第1章最大の気づきでした。

フクロウ博士
フクロウ博士

ホー、kanato理事長!自分のバランスシートを半分しか見ていなかったとは、実に多くの人が陥る盲点ですな。金融資産だけを磨いていても、最大の資産が静かに減り続けているとすれば、全体像はまったく異なってきますぞ!

2. 本書を貫く「平均の罠」——3つのリスク

本書を読み進めるうちに、繰り返し登場するテーマに気づきました。それが「平均を信じると足をすくわれる」という構造です。著者はこれを異なる角度から3つの章で描いています。

長生きリスク——平均寿命の罠(第7章)

平均寿命まで資産を持たせようと計画する人は多い。しかしこれは大きな誤解で、65歳時点での平均余命は出生時の平均寿命とはまったく異なります。長く生きれば生きるほど、条件付きの平均余命は伸び続ける。しかもリタイア後はストレスが減り、長生きしやすくなるという逆説まであります。本書では、日本の調査データとして「死亡時期を早く見積もった人が、遅く見積もった人の3倍いた」という結果も紹介されており、過少見積もりが構造的に起きやすいことが示されています。

リターンの順序リスク——平均リターンの罠(第6章)

長期で見た平均リターンが同じでも、リタイア直後に大きな下落が来るかどうかで資産の持続期間は大きく変わります。積立期間中とは逆に、取り崩し期間中は「悪いリターンが先に来る」ことが致命傷になりうる。平均値には見えない、順序というリスクです。この視点は取り崩しの局面だけでなく、積立においても逆方向に応用が利き、下落期に多く口数を買えるドルコスト平均法の合理性とも重なります。

個人インフレリスク——平均CPIの罠(第5章)

国全体の消費者物価指数(CPI)は、個人の支出パターンとは一致しません。リタイア後は医療費・介護費の比率が上がりやすく、高齢者の実質インフレ率は公表CPIより高くなりやすい傾向があります。一方、現役中の人的資本はインフレに連動して給与が上がるため、ある種のヘッジが自動的に機能しています。リタイアによってそのヘッジが消えることも、忘れられがちなリスクです。

アルセド監査官
アルセド監査官

補足いたします。厚生労働省の令和5年簡易生命表によると、65歳時点の平均余命は男性で19.52年、女性で24.38年です。すなわち65歳でリタイアした場合、男性では84歳台、女性では89歳台まで資産を持たせることが最低ラインの目安となります。ただしこれはあくまで「平均」であり、半数はそれを超えて生存するという事実は、計画に織り込まれていないことが多いです、事実として。

3. 日本では使えない?——制度より「フレームワーク」に価値がある

本書の後半(第9章・第10章)は米国の個人年金や確定給付型商品の組み合わせが中心で、日本では再現が難しい部分が多い。これは監訳者も正直に認めているとおりです。

ただ、本書の本当の価値は制度の詳細ではなくフレームワークにあると思っています。「長生き・インフレ・リターンの順序」という3つのリスクを認識すること。一つの商品で全てに対応しようとせず、目的別に組み合わせること。そして行動バイアスを自覚したうえでルール化・自動化を徹底すること。これらは日米の制度の違いを超えて有効な考え方です。

NISAやiDeCoも、この枠組みで改めて捉え直すと役割と限界が整理しやすくなります。また、第9章では日本ではなじみの薄い「トンチン年金」(長生きするほど有利になる構造の終身年金)が紹介されており、長寿リスクをヘッジするための商品設計の考え方として参考になりました。国も企業も長寿リスクの手当てから徐々に手を引き始めている今、個人がどうリスクを引き受けるかを考えるための土台として、本書のフレームワークは十分に機能します。

おわりに

改めて本書を振り返ると、「老後の資産管理」というテーマを扱いながら、若い世代こそ読むべき内容だという印象が残っています。人的資本が最大のうちに、それをどう金融資産に変換していくか。3つのリスクをどう認識して備えるか。その問いかけは、リタイアのまだ遠い若い時期から始めてこそ意味を持ちます。

日本の制度と完全には合わない部分があることは正直に付け加えますが、フレームワークとして読むには十分な価値がある一冊です。「老後の資産管理はリタイア後に考える」という先送りをしている方に、ぜひ手に取っていただきたいと思います。

次回は、本書のフレームワークを自分自身のポートフォリオに当てはめてみる実践編をお届けする予定です。

それでは、良い資産構築ライフを!

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